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松田 優作

松田優作
TOUCH/松田 優作
1987.02.21

戦い続ける男達へ 作詞 作曲:ジョー山中

まさにこのブログのテーマ曲です。

高校2年のお誕生日プレゼントで石本聡からダビングしてもらったのが初めてブルースシンガー松田優作さんとの出会いだった。

その後、自分を鼓舞する曲になったのがこの曲です。

もう一曲同じ心境の時流れる 中島みゆきさんのファイト 脳裏を流れる名曲です。

歌詞

俺の人生で巡りあった戦い続ける男達は身体一つで荒海に向かって男は船を出す 時には荒波で船が沈み 又 新しい荒波に向かって 男は船を出す この素晴らしい男達に この歌をささげたい

俺の人生で巡り合った戦い続ける男達は 終わりのない道に向かって男は走り続ける 時には傷つき涙を流し 又新しい道に向かって男は走り続けるこの素晴らしい男たちにこの歌をささげたい

俺の人生で巡り合った戦い続ける男達は 孤独さを一人噛みしめながら男は旅をする 時には夢を作り微笑む 俺も戦い続ける男の一人であることを誇りに思い 俺はこれからも戦い続けよう

戦い続ける男の歌を 俺は歌い続けよう 

戦い続ける男の歌を 俺は歌い続けよう

映画 人間の証明で ジョー山中さんと共演が縁?

中学3年の時だったと思う、岩見沢の映画館で渋谷裕司と待ち合わせたが時間を間違ったのか一人で見た。原作の小説も読んでいたのでとにかく優作さんの演技とジョー山中さんのテーマソングが心に響いた。https://amzn.to/3q1vcik ←映画はこれだと思います。

優作さんが亡くなった時、ジョーさんが泣きながら”俺だけが優作と喧嘩したんだ”って、そして思い出の曲だと歌ってくれたのが印象的でした。

人間の証明テーマ曲

戦い続ける男達も人間の証明のテーマも収録されているジョー山中さんのDVDがありました。

ハーベストナイト

アマゾン見ていたら思い出した。高校2年の時だったか、優作さんがコンサートで札幌市民会館に来てくれた。なんと竹田和夫さん率いるクリエイションと共にだ。

石本聡と学校さぼってJR乗って滝川から札幌まで行き、市民会館の食堂でラーメン食べていた所に優作さんが登場した!でかくて映画と一緒!感動したね~色紙買ってきて楽屋口へ行き、出てきたオネーさんに頼んだんだ、サインしてくれって。

一応預かるみたいな対応だったけど、しばらく待っていたらなんと優作さんを中心にクリエーションの皆さんの寄せ書きの様なサイン 嬉しかったね~

横浜BJブルースって映画のそっくりそのままの様なコンサートでその映画のキャンペーンだったのか解からないがとにかく感動した。

コンサートが終わってまた楽屋口で待っていると、クリエーションのみんなと竹田和夫さんが一人ひとりがっちり目を見て握手してくれたことが何より感動した。

あの、名ギタリストの竹田和夫さんの人柄に惚れた。

その余韻に浸っていると、優作さんが表からみんなをからかうように出てきて、猛ダッシュで逃げて行った。

その後の話だが、その時優作さんの送り迎えの車の運転手が、石本聡の知り合いで走って逃げてきた優作さんをすすきのまで送ると外からしかドアを開けられないVIP用の車の中で ””開けろコラー””って優作さんのシャウトを聞いたらしい。映画のワンシーンを見ているようだったって。

優作さんのその後の話

なくなる直前の平成元年8月に俺は東京都大田区大森西の三角精機に旋盤工として弟子入りして、その時の工場に親方の木下国陸師匠と宮沢さん高橋さんヒロ製作所の石井さん五十嵐君石井さんの親父さんとフランクさんがいた。

すぐにみんなと仲良くなった北海道から出てきたドラックレース志望の俺を向かい入れてくれた。

中でもフランクさんとはよく話した。クールスで一時期を築いたメンバー最年少のフランクさんは優作さんとも親交があったようで、当時俳優からブルースシンガーを目指す優作さんがよく一升瓶片手にスタジオへ遊びに来てくれたというエピソードをフランクさんから聞いた。

そして、遺作 ブラックレイン 健さんマイケルダグラスとの共演。僕の人生の先生である健さんとの共演で優作さんは旅立つのだった。

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