I’ll be back.戻ってきた旋盤工
2年振りに機械加工の世界へ戻る。
諦めない
諦めないで願うことが重要です。金属機械加工の世界に復帰しました!
18回目の転職、57歳にして復帰しました。ドラッグレースの為に’86年GSX-R1100のエンジン加工をするために覚えた機械加工。マザーマシンと呼ばれている機械加工の原点、旋盤、フライス盤。
1989年東京都大田区大森西で三角精機、木下国陸師匠と出逢い静岡製機製ラム型フライス盤で業界デビューした。
汎用旋盤で宮沢さん高橋さんと朝鮮戦争特需で稼いだ職人に習い、森精機のNC旋盤で月300万円を売り上げた。
その後、2代目の森精機NC旋盤、遠州のマシニングセンターを使い倒しエンジン加工やハーレーパーツを作り三角エンジニアリングを木下国陸師匠とフランクこと飯田和夫のち濱野和夫先輩と立ち上げた。26歳の夏だった。
全力で
ルマン24時間レース、F1,インディ500マイル、デイトナ、ロードレースに憧れた中高校時代。自動車整備の訓練校、トラックドライバーから型枠大工へとレースの為に全力で取り組んだ仕事。
3年やった松永忠親方に習った型枠大工時代に大型自動2輪免許を取得してSUZUKI GSX-R1100を購入できた。
1986年~1989年頃はバブル全盛期でジュリアナ東京でボディコンおネイサンが沢山いた時代、型枠大工の僕も横浜へ出稼ぎに行った帰りにフェラーリまでは買えなかったが、カマロのフルエアロ買って乗って帰ってきた。
全力で仕事した結果だと思う。
ヤリタイこと
フェラーリにはズ~ッと憧れていたが、当時HONDA NSXがでた。アメリカ仕様のアキュラの中古が400万円位で横浜の中古車屋さんで売られていて欲しかったな。
そのころは富士スピードウェイでドラッグレースやっていて、GSX-R1100改で参加していたんだ。
よくイベントやっていて、織田無道さんとかがフェラーリやカウンタックで何台も富士に来ていてそれはそれは壮観だった。
でも当時は0-400m9秒切ってやる事が目標で、フェラーリにも女にも目もくれず機械加工とエンジンチューニングに没頭していた1991年頃だったと思います。
後悔しない人生
ヤリタイことの為なら人間一生懸命になれるんだ。好きなことを仕事に出来たら最高だと思ってきた。
僕はかなわなかった、本当に好きなことはスピード。レースだ。自動車やバイクのレース。もっと本当に好きでやりたかった事はF-14 戦闘機パイロット。5G6Gの世界。スマホじゃないよ!
夢をあきらめつつも富士スピードウェイで0-400m9秒26が自己ベスト。
その過程で機械加工の世界に出逢い、自分のエンジン部品を加工したいが為に覚えたGコードマクロ。
当時FANUC15Tで基礎の基礎を全力で学び工作機械の制御言語であるGコードをマスターし、その後FANUC0T,11M,6Mと使い最近では三菱やオオクマとWindowsベースの制御盤を使ってきた。
今、最新のDMGモリ製機を与えられたが、基礎ができているせいか不自由なくあの頃の知識が通用して使えている。
CAD/CAMが数千万円した時代で2.5次元加工がしたいためにカスタムマクロを覚えたことが今でも生きていかせている。
この世界に呼び戻してくれた、訓練校の後輩 タカには感謝してやまない。ありがとう!
Gコードマクロはこのブログで書いてゆきたいと思います。
ディスカッション
コメント一覧
ランキングからきました。
夢があるっていいですね(^^♪
ありがとうございました。
ゆうさん、ありがとうございます!
様々な要因で諦めてしまいますが、想い続ければいつか叶います!
頑張りましょう!!